「正射必中」を追究して
ホームページにも書いてあるように、僕の趣味の1つに弓道があります。
鍼灸師になってからは手のマメを避けるために離れていますが、学生時代にはのめり込んでいた時期もありました。
そんな弓道の中でも心惹かれた言葉が「正射必中」。
この言葉に鍼灸師やってる理由が含まれている、って最近やっと気付いたんです。
“道”を追究する
弓道に限らず、武道や芸事は“道”という一種の美学を持っています。
“道”では実利や結果が出れば良しとするのではなく、礼儀や精神性も磨いていく必要があります。
弓道でその姿勢を表したのが「正射必中」。
的に矢を中(あ)てるのではなく、正しく弓を引くようにすれば自然と中たる、と教わりました。
中てるだけならば構えや弓などいくらでも工夫しようはあるのですが、その誘惑を降りきって型を修練するから“道”なのです。
僕は道半ばまでしか体感していませんが、達人になると中たるのが当たり前で、外さないように精神・集中力の競いになるとかなんとか……。
生命力を追究する
今やってる積聚治療という鍼灸施術法は、常々ブログでも書いているように生命力に着目します。
弓道で的を狙うだけならば色々と手があるように、症状の改善だけならば直接患部に鍼灸したり西洋医学と併用したりと様々な手段を選べます。
しかし、弓道で型にこだわったのと同様に、鍼灸では生命力にこだわって根本を正すことで結果につなげたいと思ってしまうんです。
結果だけを求めるならばもどかしく見えるかもしれませんが、一生打ち込む仕事とするには必要なこだわりではないでしょうか。
弓道から鍼灸へ
弓道経験者なら昇段審査で馴染み深い「射法訓」という古典があります。
気の理論を勉強していると、出展である『礼記』に行き当たって驚いた覚えがあります。
また、恩師である小林詔司先生は鍼灸師におすすめの本として『弓と禅』を挙げていました。
弓道と鍼灸につながるものとして無我の境地に着目しています。
時折、弓道につながる匂いを感じるのが面白いところです。
前述の通り、現在は弓道から遠ざかっています。
しかし、僕の中に根付いてる弓道の“道”が、目指す鍼灸師像にも大きく影響しているみたいです。
鍼灸師のスタイルも色々とある中で今の方向性を選んだ、その根っこと言えるかもしれません。
今更ながらそのことに自覚できたので、今後の鍼灸研鑽がもっと味わい深くなりそうです。